
昨年から期待していたボブ・ディランの初期を再現してくれる伝記映画「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」を鑑賞した。それもすでに2回目。Youtubeでこの映画レビューを見ても大抵の人が褒めているようだ。
ボブ・ディランと言えば、フォークというジャンルでは神様のように崇められている。一番有名な曲は「風に吹かれて」だろう。僕は昔、RCサクセッションのカバーでよく聴いたものだ。あのカバーは日本語訳がとても上手くて、まるで日本語の歌詞がオリジナルなのではないかと錯覚するほどだった。他に知られている曲だと、今回の映画でもハイライトとなっている「Like a Rolling Stone」だろう。上流階級女性の人生転落を歌った歌詞が強烈だ。そのくらいしかディランの曲を知らなかったけど、そんな僕でも良い映画だなあとしみじみ感じる。
この映画でディランはフォーク歌手と決めつけられるのを嫌って、事もあろうかフォークソングのための祭典「ニューポート・フォーク・フェスティバル」にエレキギターを手にしてバンド編成で演奏する。「風に吹かれて」のようなアコギ弾き語りを聴きたがっているファンたちからは当然ながら強烈なバッシングを浴びることになるんだけど、それでもひるまない。罵声を浴びせられたり物を投げられても自分のやりたい事をやる。ディランは元々フォークミュージックだけが好きというわけではないらしく、実は50年代のロックンロールも好きだった。映画の中でもやかましいとされるドラムやエレキギターも「時には手段として有効だ」というようなことをデビュー前から発言している。最初からそういう立ち位置にいたわけだ。
そんなディランと僕が、次元が違えど似ているところがある。僕もクラシックギターで身を立てようとがむしゃらに練習した時代があったのだが、ハードロックも好きだったし、中島みゆきも好きだった。一種類のジャンルに留まることはできなかった。そして普通はクラシック音楽愛好家とハードロック愛好家というのは噛み合わないものだ。「いえいえ、僕は良い音楽はクラシックでもジャズでもメタルでもなんでも分け隔てなく聴きますよ」という人はいる。でもプロの演奏家としての立場で両方やるよっていう人は多くないとだろう。僕の知っている範囲だと、クラシックギタリストなのにskyというバンド活動も行ったイギリスのジョン・ウイリアムスくらいか。特にコンクールに優勝したりして地位を確立してしまうと、他のジャンルに手を出すのは、今まで応援してくれていた人たちを裏切る行為だと感じてしまうだろう。
僕はクラシックギターも弾くけど、エレキも弾く。その上、パソコンで音楽が作れるようになったら、それもやる。そして自分のギターの音をひとつひとつ録音して鍵盤に割り振って、強弱の変化も別録音して完璧な自分の分身のような楽器を作って音楽を制作したりもした。現在は生成AIなんていうもので音楽が作れるようになったので、逆に原点に還り生演奏にこだわり始めたところだ。今でも覚えてるけど、僕が自分のサンプリングしたギターでクラシックギターの名曲集という2枚組のCDをリリースした時のこと。古くからの年上の友人が、感想を添えて質問してきた。
「あのCDに入っているグラン・ソロは私が今まで聴いてきた中で一番素晴らしい演奏だと思いましたよ。でもあれって実演奏ではないんですか?」と。
僕はサンプリングの原理を説明するが、DTMをやった事がない方は大抵理解してくれない。あれはコンピュータでプログラミングしたようなものですが、強弱やテンポなどのアーティキュレーションは僕の感性をそのまま音にしたものです、と言っても結論は「じゃ、本当は秋山さんは弾いてないんですね? コンピュータを使ってるんですね?」と言われるので、「そうです。実演奏ではないです」と説明すると、「それってズルくないですか?」と彼は言ってきた。
この時は「そうですかねえ、でも自分の頭の中にある理想の演奏を実際の音に変換したまでなんですよ」とか返答した記憶がある。もう10年以上前のことだ。でも、それから数年経って、頭の良い人の考え方や対処法を知って、あ、自分もそれをこの人に言ってみたかったなあと感じた言い回しがある。「ズルいと思うのなら、あなたもやってみてはどうですか」と。
実際には自分のギターで1音1音、全オクターブの音をピアニッシモからフォルテッシモまで録音し、それを鍵盤に割り振って自分専用の楽器を作るなんていうことをやった人は聞いたことがないし、それをやったところで、まるで人が演奏したかのような緻密な演奏データを作るという行為も、誰でもできることではない。でも「ズルい」という言葉からは「ひとりだけ楽な道を抜け駆けした」と取ったのだろう。

そんな風にして褒められたり貶されたりしてきた音楽人生を辿ってくると、次元というかレベルは違うけど、ディランの心情が理解できるような気がしてしまう。この映画ではニューポート・フォーク・フェスティバルでの「Like a Rolling Stone」がストーリーのハイライトになっていて、主演のティモシー・シャラメという俳優が上手く演じてるが、Youtubeを探すと、それよりあとのロイヤル・アルバート・ホールでの「Like a Rolling Stone」」を見ることができる。この時のディランはもっとカッコいい。なんとも言えない不敵な顔つきと仕草、立ち居振る舞い。僕は大学講師時代にポピュラー音楽史の授業でこの映像を教材に使っていた。
「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」はもうこのエッセイを書いている時点で公開から2週間以上経って上映館も少なくなりはじめた。もとよりディズニーや日本のアニメ映画のような規模では公開していない作品ではあるけど。劇場で観たい人は急いだほうがいいだろう。まるで1960年代前半のアメリカにタイプスリップして歴史の目撃者のような気分になることができる。
2024年8月29日