record of my life

2023年 令和5年
62歳

 コロナ渦の4年目。ついに5月で新型コロナウイルスは5類という位置づけになり、一応の終わりとなったものの失った代償は大きいだろう。
個人的には春に映画「シン・仮面ライダー」にハマって3ヶ月くらいは存分に楽しんだ。
春にはアルトサックスを購入。テナーサックスを5年以上習ったから、そろそろアルトも大丈夫だろうと思って踏み切ったものの、ピッチがこれほど狂いやすい楽器とは思わなかった。それにまるでギターでカポをして弾いてるように、楽譜を見て押さえて出した音が三度ほど離れているというのは扱いづらい!
夏にはFacebook上で「音楽思い入れ愛好クラブ」を決定。少人数ではあるが月に1回、池袋でオフ会を開くようになる。

2022年 令和4年
61歳

 コロナ渦の3年目。仕事の方は今だに売れている「よくわかる作曲の教科書」からの繋がりで、珍しくスティールパンという打楽器を習いたい人のための音楽理論講座というのを頼まれた。久しぶりのセミナーの仕事で、かなり好き勝手にしゃべらせてもらった。 秋に関西方面へ旅行に行く予定だったが、その10日くらい前に散歩中に転んでしまい、右腕が打撲でほぼ動かせなくなった。しかたなくギターを持って行くのは諦めて、友人のギターを借りて二重奏をする。怪我をしたのは残念なのだが、1日ごとに痛みが柔らいていくのが分かる。ああ、生きているんだな、治癒力というのは素晴らしいものだなという喜びを噛みしめることができた。良い教訓だった。

2021年 令和3年
60歳

 コロナ渦の2年目。我が家の大きな出来事としては車をスバルのフォレスターからミニクーパーのコンバーチブル(オープンカー)に変えた事。昔から憧れていたオープンカーが嬉しくて、思い立つとブラっとドライブに行った。
それにしても2020年に引き続きどこへ行っても閑散としている。個人的には静かで良い。春に父親の故郷、山形県の米沢に行ってみたが、さすがに町はすっかり変わっているようで、ルーツを巡る度は不完全な形となった。秋にはクラシックギターのロマニリョス&サンを入手。とても気に入っている。

2020年 令和2年
59歳

 それにしても2020年とはなんという年なのだろうか。まさかお正月の時点でこういう1年が待っているとは誰も予想しなかったであろう。オリンピックは延期され、ほぼすべてのエンタメは活動できず、学校はオンライン授業になり、人と人がふれあうことが無くなってしまった。僕は戦後16年経って生まれたが、2020年はミサイルや大砲の玉こそ飛び交っていないが、まるで戦時中のような息苦しさを感じる年だったと思う。
 仕事は新しいMacProとディスプレイを購入したのでバリバリ進む。10年くらい前にUstreamで配信した動画を編集しなおしてYoutubeにアップロードし始める。

2019年 令和元年
58歳

 Appleからノイズキャンセル機能搭載のイヤホンAirPods Proが発売された。このイヤホンのカルチャーショックは凄かった。ノイズキャンセルをオンにした瞬間に、周りの騒音がス~っとかき消されてゆく。まるで突発性難聴になった時に耳が聞こえなくなった時の印象に近い。これは実に素晴らしい。コンビニとかで店内放送がうるさい時や、雨の中を歩く時に傘に当たるバラバラという滴の音が無くなるのだから。

2018年 平成30年
57歳

 2017年から習っていたトランペットからテナーサックスへ転向。やっぱり木管楽器のほうが向いているみたいだ。茨城の施設に入っている母とも4年ぶりに再会。認知症が進んでいるので、もう昔どおりの会話はできない。時の流れを感じるものだ。
 6月に、伊豆の温泉へ行ってみた。川端康成が「伊豆の踊子」を執筆したという宿に泊まっている。生まれて初めて蛍を観賞することができた。感激!
 この年は他にも神戸(映画たたかえ!クンフー・リー関係)、長崎、大阪、京都などかなり旅行を楽しんだ。映画と言えば「カメラを止めるな!」は久しぶりに涙が出るほど笑わせてくれた傑作だったな。結局3回見に行った。

2017年 平成29年
56歳

 とても充実した1年。2月に友達が35年前に制作していた自主映画「最強戦隊ジェットマン」のBGMを担当させてもらう。この映画は神戸の元町ショートフィルムフェスティバルや、福井県のあわら湯での映画祭で上映され好評だった。
 4月にはYAMAHAの初級者用トランペットを購入し、夏から池袋の教室でレッスンを受けている。金管楽器とはどういうものなのかを身をもって体験。またしばらく新作を出さなかったiTunes StoreやハイレゾのeOnkyoだが、山下和仁編の「展覧会の絵」を全曲マヌエル・ラミレスのサンプリングで制作。年末にはヤマハ・ミュージック・メディアより「エレキギター コード進行&バッキングのレシピ」を上梓。

2016年 平成28年
55歳

 2015年の暮れに発症した突発性難聴をきっかけに、ギターアンサンブル・アルマの指導を終了した。ストレスを減らそうということで、大学の授業でもやりづらいと思っていた授業1つを、他の先生に担当してもらうことにした。そして何よりも大きいのはキャンプという趣味を始めたことだろう。道具を積み込むために積載量の少ないフォルクスワーゲンのNew BeetleからスバルのForesterに買い換え。主に山梨県の道志村を利用する。また、仕事のほうは数年間に渡って二重奏の練習をしていた岩橋さんと、千葉の稲毛海岸にて初のジョイントコンサートを行う。また福島の教育センターにて音楽の先生を対象にしたセミナーは、これまでの同仕事の中では、もっともやりがいのある楽しい仕事だった。

2015年 平成27年
54歳

 2020年に行われる東京オリンピックのエンブレム騒動に揺れた年。個人的には京都で作曲セミナーを5回も行うことになり、そのたびに京都観光を楽しむということができた。また「よくわかるアレンジの教科書」も発売、シャランの和声課題も本格的に取り組む。Apple製品はApple Watch、MacBook(Gold)、iPad Pro、iPhone6sを購入。特にiPad ProとApple Pencilによるお絵描きにはのめり込んだ。そして人生における大事件も発生。12月24日に突発性難聴を発症し、12月25日のクリスマスから31日の大晦日まで日大付属板橋病院に入院。聴力は戻ったものの、これを機にいろいろなことを決断することになる。

2014年 平成26年
53歳

 ゴーストライター作曲事件、STAP細胞事件、号泣議員事件などなど、「嘘」が暴かれた1年だった。この年はなぜか中国や韓国を敵と見なせというような扇動を感じる年だったように思う。個人的には自著「よくわかる音楽理論の教科書」の発売、それに伴う作曲セミナーをインターネットや島村楽器で行うという新しい展開になってきた。
 iPhoneはサイズが大きくなった6を予約とピックアップで購入。中国人の割り込みが話題となった。黒い円柱型のMacProも購入。静かでとても快適。

2013年 平成25年
52歳

 アベノミクスでどんどん円安が進んでいった1年。おもてなしで2020年のオリンピック東京招致が決定。2013年って半沢直樹というドラマも流行ったように、とにかく弱い者をよってたかって完膚無きまで攻撃するという現象が目立った。いやな傾向だ。
 個人的には3年くらいにわたって行ったUSTの生放送終了、iPhone5sを徹夜でならんでゴールドモデルを入手など、プラマイゼロの1年かな。
 2013年の秋に発売とアナウンスされたまったく新しいMacProは、結局日本での出荷は2014年の2月以降となってしまったのは残念。

2012年 平成24年
51歳

 日本の原発はほとんど動かないまま1年を過ごすことができて、電力は足りないのか余っているのか一般人には分かりづらくなった。12月の選挙では民主党が大敗。いったい日本はこの先どうなっていくのだろうか。
 個人的には100年前のクラシックギターであるマヌエル・ラミレスを手に入れたのが大きな出来事。枯れきった音が何とも言えない。iPhoneは5世代目となり、薄く軽くなった。iPadも小型のminiが発売され、アップルが軽さというものを重要視しているのがよく分かる。8月に福山の稲田屋で食べた関東煮(かんとーだき)、牛丼、11月に伊東で食べたパエリアの味が忘れられない!

2011年 平成23年
50歳

 日本に大災害が起きた年。3月11日午後2時46分東日本大震災である。地震と津波に加えて福島の原子力発電所が爆発してしばらく眠れない日が続いた。アップル製品を使ってきた古くからのユーザには10月5日に創業者のスティーブ・ジョブズが永眠したのもショックであった。良かったことと言えば2月に行った初めてのリサイタル「バレンタイン・ギター・ライブ」が成功したこと。iTunes Storeではソフトウエア音源をフルに使ったRock’n Roll Classicというアルバムを発売。スティーブ・ジョブズの追悼曲「The Ballad of American Icon」も収録されている。この年に購入したものはMacBook Pro、MacPro、iPhone 4S、iPad2。世の中が少しずつクラウドが浸透していっていると思う。

2010年 平成22年
49歳

 ついに満を持してAppleからタブレット型のiPadが発売された。発売前夜はアップルストア銀座に徹夜で並んでニュース番組に映ってしまった。世の中は尖閣諸島沖での漁船衝突事故とその映像がYoutubeにアップロードされて大騒ぎになったりしたが、個人的には平和な年だった。春にロンドン・パリを巡る旅行をし、千葉まで菜の花を見に行ったり、東京と千葉で夏だよりコンサートを開催できた。またPodcastに代わってUSTREAMの生放送を始め、これが趣味の1つとなる。

2009年 平成21年
48歳

 新型インフルエンザが世界的に大流行した中、アメリカではオバマ大統領が誕生し、日本では政権交代が行われた。マイケルジャクソンの急死にはビックリし、酒井法子逮捕にも仰天した。そして12月には友人の菅原潤氏が永眠。まだ53歳だった。個人的な生活としてはNew Beetleを導入したのが大きい変化だ。数年ぶりにドラゴンクエストをDSでやってみてやっぱりはまった。iTunes Store向けのアルバムは3枚にとどまったが、2枚組のCD「シャコンヌ〜秋山公良クラシックギター名曲集」を発売できたことに大きな喜びを感じる。特に台湾から発注メールをいただいたのは嬉しかった。
 教授活動のほうは東京工学院をやめ、尚美学園大学1本に絞る。今年新たに購入したMacは無し。iPhone3GSのみ。

2008年 平成20年
47歳

 米証券リーマンブラザーズ経営破綻、小室哲哉逮捕、飯島愛死亡、秋葉原通り魔事件に毒入りギョーザと、世の中はあまり良い年とはいえない。しかし、個人的には悪くない年だった。映画の「ダークナイト」にはまり、スペイン製ギターのアルカンヘル・フェルナンデスをサンプリングして新作準備を始めた。

 仕事のほうは、東京工学院がどうにもこうにも限界を感じ、2009年度は契約更新を諦める。新たに購入したMacはMacBook AirとMacProに30インチのシネマディスプレイ。そして何よりもiPhone!

2007年 平成19年
46歳

  iTunes Storeでのアルバム販売は好調で、2007年度は5枚のアルバムを発売するに至る。教授活動のほうも、あらたに尚美学園大学での非常勤講師の仕事も始まったり、東京工学院の担当学科が増えたりして、ウイークデーはほぼスケジュールが一杯になってしまった。
 新たに購入したMacはMacBookのホワイトモデル。iPodはようやく実現したiPod touchをすぐに購入。KISSのライブビデオ集、KISSologyのDVDをリッピングして通勤途中によく鑑賞した。

2006年 平成18年
45歳

 この年は情けないニュースが多かった。ライブドアのホリエモン逮捕。マンションの耐震強度偽装問題などなど。また駐車違反の取り締まりが強化されたので、バイクですら、うかつに路上駐車できなくなった。今までの習慣が崩れるので、慣れるまで生活しづらい。
 個人的にもかなりの動きがあった年だった。生まれて初めてオーディオCD「オペラ座の怪人」をリリース。現代ギターのGut on the Popという連載も開始。しかしいいことばかりではない。表参道から用賀に引っ越した音楽学校のアムバックスはどんどん仕事が縮小化し、11月にはついに事実上の解雇。しかしちょうどその穴を埋めるように9月から府中の東京工学院でDTMを教えることになる。
 また秋にはiTunes Storeにデビューしたことも大きかった。こうして2006年を総決算してみると、じつはこの年、自分の写真を撮らなかったことに気がついた。

2005年 平成17年
44歳

 やけに地震が多かった年。雪や大雨の被害もあった。昨年に続き日本は自然災害に苦しんだ年だったが、JR西日本の脱線事故や、マンション耐震構造偽装事件など、人災や犯罪も多く発覚した。個人的にはSibeliusやFinaleのガイドブックを執筆したおかげで、ついに4月末にPowerMac G5 2.7GHzを購入できた。そして自分のクラシックギターの音を8GBもの容量を使ってサンプリング。オペラ座の怪人にはまった1年でもあったので、これを使ってほぼ全曲をギターにアレンジするという作業もやってみた。その成果は翌年に現代ギター社からCD発売という形になる。 引っ越してから始めて海外旅行に行く。それも1月にアメリカ西海岸、7月にNYと二度も行ってしまった。ブロードウェイ三昧は楽しかった!

2004年 平成16年
43歳

 自宅レッスンに通わせていただいた渡辺範彦師匠が肺ガンのために56歳で他界した。日本は台風、地震などの自然災害に多く見舞われた年。しかし個人的な仕事運はそれほど悪くはなかった。一人暮らしをしつつも仕事は順調で、ようやく明日のお米を心配するほどではなくなったと言える。これもAppleがGarageBandという音楽ソフトを発売したことが大きい。このソフトのガイドブックを書いて、その印税でPowerBook G4 1.5GHzを購入。
 他にも私が指導しているギターアンサンブル・アルマが3人から5人へと増えて、楽しいギターサークルとなった。

2003年 平成15年
42歳

 世の中はイラク戦争、そして新型肺炎SARSで埋め尽くされた。世界としてはあまり良い年とは言えなかっただろう。個人的にはついに専門学校の尚美学園の契約は終了。個人事務所Akiyama MusicDesignをオープンする。「musicdesign.jp」の独自ドメインも所得。もう教授活動はないかと思ったのだが、2002年の12月に行ったMacで音楽セミナーがきっかけで湘南工科大学の非常勤講師となる。他にもWebで履歴書を出しておいたら、原宿の音楽スクール・アムバックスから求人があり、週2日は教授活動となる。この年の11月26日、ついに引越をして独立。念願の一人暮らしがスタート。執筆のほうは、ひさしぶりに音楽之友社から「読んでナットク! デジタルミュージックの基礎用語」をリリース。

2002年 平成14年
41歳

 雪印による牛肉偽装事件が起きた年。なぜか雪印の不祥事ばかりが明るみに出ていく。1月にはお袋を連れてラスベガス、グランドキャニオン、サンフランシスコへ。夏はニューヨークへ行き、ナイアガラの滝を見る。専門学校は縮小化して、我が家もいよいよバブル崩壊の実感が沸く。それでも液晶iMac、PowerBook G4 800MHzを購入。
 再びギターに熱を入れ、東京でクリスマスコンサートをスタート。41歳にしてバッハのシャコンヌを暗譜した年。年末には専門学校・尚美学園での非常勤講師退職決定、大型アメリカンバイクからVespaへの移行を決意。

2001年 平成13年
40歳

 米国同時多発テロが起きた年。フロリダとニューヨークへ旅行したのは7月だったから、その時はまだ楽しめた。初めて9月にフランスへ行く。パリで行われるはずだったApple Expoは同時多発テロのため中止。日本では狂牛病が大問題になり、焼き肉屋、牛丼屋から客足が遠のく。私はそんな中、大阪の鶴橋で焼肉を食べてるけど。

2000年 平成12年
39歳

 バッハ没後250年、雪印乳業食中毒で操業停止になる事件が起きる。新潟では不明少女が9年ぶりに発見されるという衝撃的な事件があった。二千円札発行、プレステ2が発売。
 「IT革命」という流行語が登場するが、ウイルスの「I love you」が猛威を振るう。MacはMac OS Xが発表される。購入したパソコンはPowerBook G3(Pismo)、G4 Cube、NEC Lavie M LM500J/3(薄型ノート)。みずほ銀行がボロボロの状態でスタート。1月には初めてサンフランシスコへ旅行する。7月には2度目のニューヨークで自由の女神へ登る。

1999年 平成11年
38歳

 HONDAのSteed400からYAMHAのRoadStar1600に乗り換え。春日にある専門学校「尚美学園」で非常勤講師を始める。世の中はiモード登場と2000年問題があった。初めて海外旅行でニューヨークへ行った年。この時オヤマさんと知り合い、Macで音楽クラブに入会。
 この年のパソコン購入はすごい。ガイドブックを次々に書いていた関係で、iMacフルーツカラー(グレープ)、iBook(ブルーベリー)、PowerMac G3(Blue&White)、iMac DV Special Editionを購入。iMac以降のちょっとしたバブルだった。この年からMacWorld Tokyoの基調講演はスティーブジョブズが勤める。

1998年 平成10年
37歳

 NIFTY-Serveの「KISS部屋」の人たちとは“勘違い”、“誤解”が元で徐々に疎遠になっていく。結局自分にはロックとクラシックの2つの血筋があり、どちらかにはまりきれないようだ。日本は和歌山毒入りカレー事件、長野オリンピックがあった年。
 しかしMacユーザとしての大ニュースはiMacが発表されたことだろう。前日まで極秘にされていたので、朝から大騒ぎになった。Windows98もリリースされた。映画「ハリウッド版ゴジラ」、「リング」(日本版)が公開されたのもこの年。

1997年 平成9年
36歳

 リユニオンKISSが来日公演。これを機にNIFTY-Serveのセッションフォーラムに参加、ロックフォーラムの「KISS部屋」という所に出入りし、その手の友人が一挙に増える。夏には一晩中遊ぼうというオールナイト・オフなる催しも決行。Windowsを使っている人が結構多く、はじめてGatewayのデスクトップ機を購入してみたのもこの年。年末には富士通のノート型FMV-BP34を購入する。
 ダイアナ元英皇太子妃がパリで事故死。その場所は4年後に訪れることになる。映画「タイタニック」が大ヒットした年だ。

1996年 平成8年
35歳

 アトランタオリンピック開幕の年、KISSがオリジナルメンバーで再結成された。都立家政大学付属高校(女子校)のギター部でコーチを務める。初めての北海道ツーリングに行ったのもこの年。
 12月にはスティーブ・ジョブズがAppleに復帰。このニュースは12月に初台のアップル社でFinaleユーザーズクラブのワークショップを開催した時の帰りがけ、当時のユーザーグループ担当の人が教えてくれた。その時、バンザイと叫んだのは自分だけ。他の人たちは「スティーブ・ジョブズって誰?」みたいな感じだった。PowerMac8500/150を購入したのもこの年。「たまごっち」や「ルーズソックス」が流行。

1995年 平成7年
34歳

 阪神大震災が起きた年。地下鉄サリン事件もこの年に起きた。「マインドコントロール」、「ああ言えば上祐」なんて言葉が流行った。ゆりかもめ開通。千葉のギターサークル、アウロラ解散。ギターよりもどんどんMacに傾いていく。Windows95の発売もこの年。
 しかし特筆すべきは自動二輪中型免許を取り、HONDAのSteed400を購入したことだろう。よく房総や信州にツーリングしてみた。

1994年 平成6年
33歳

松本サリン事件が起きた年。私はPowerBook 540cを購入して持ち運んでいた。また何故かLC575も購入している。アイルトン・セナが事故で死亡。プレイステーションが発売された年でもある。
 個人的な見解だけど、この頃から日本の音楽はダメになりはじめた気がする。この年のMacWorld Tokyoでは会場の一角に隔離されたアダルトコーナーが設けられていた。そこの人口密度たるや未だに語りぐさとなっている。「同情するなら金をくれ」が流行語。

1993年 平成5年
32歳

 Jリーグが開幕され、レインボーブリッジが開通した年。インターネットが少しずつ広まっていく。テレビドラマ「高校教師」が話題になるが、自分はリアルタイムではなく、後からはまった(現在はDVDも持っている)。

 Macではカラオケデータの作成もこなし、PowerBookDuo230、Centris650を購入。この年オードリー・ヘップバーンが死去。「コギャル」、「ブルセラ」、「リストラ」などが流行語。

1992年 平成4年
31歳

 人生の一大事が起きる。夏に糖尿病と診断され教育入院することになった。病院でもMacを使えないといやだと思い、PowerBook100を購入。寝て、食事して、採血して、あとはMacを触っていた。とんでもない患者だ。
 フリーライターとしても中経出版から「Macを使う基本の基本がよくわかる本」、明日香出版から「はじめてかじるマッキントッシュ」などを発売する。本屋で自分が執筆した本が平積みになっているのを見てようやく脱サラした成果を感じることができた。
 この年、MDが発売され、バルセロナでは五輪が開催された。また尾崎豊が若くして死亡。テレビドラマでは「ずっとあなたが好きだった」が高視聴率を稼ぎ、冬彦が話題に。

1991年 平成3年
30歳

 エイズによりQueenのボーカリスト、フレディー・マーキュリーが死去した年。マイルス・デイビスも亡くなっている。私は千葉のギターサークル「Aurora(アウロラ)」を結成。アウロラはオーロラのスペイン語読み。この言葉は非常に気に入って、女性名詞にもかかわらず、アウロラ解散後も自分のニックネームに使う。でもAuroraと書くと、大抵の人はアウロラではなく、オーロラと読んでしまうよね。

 この年は雲仙・普賢岳で火砕流がおきた年。湾岸戦争が勃発し、ソ連が崩壊した。Windows3.0が発売され、デビッド・リンチの「ツイン・ピークス」が話題となった。他にもジュリアナ東京がオープンし、茶髪が流行った。イオカードが発行されたのもこの年。ヘアヌードも解禁。

 千葉の幕張で日本で初めてMacWorld Tokyoが開催された。

1990年 平成2年
29歳

東西ドイツが統一され、バブルが崩壊した年。しかしわずかな稼ぎしかない自分にはほとんど関係が無かった。それよりもMacにのめり込み、シーケンサーソフトのVisionで音楽を作っていたこの頃が懐かしい。

 世の中はスーパーファミコンが登場し、ローリングストーンズが初来日。おどるポンポコリンがヒットした年。「おやじギャル」、「成田離婚」などが流行語。

1989年 平成元年
28歳

 バブル経済の真っ只中、昭和天皇崩御、平成元年となる。世界情勢はベルリンの壁が崩壊し東西ドイツ統一へ進んだ。私は水道橋の日本大学の清掃アルバイトをしながら伊勢原の音楽教室でギター科を担当することになる。自宅教室もオープン。相変わらずコンピュータミュージックに傾倒。YAMAHAのQX3を購入するも、マニュアルがちっとも分からず、アルバイトをしながら懸命に読破する。しかしやはりもっとも大きな出来事は12月にMacintosh SE/30を購入したこと。人生の最大の転機だったと言っても過言ではない。

 映画「インディージョーンズ最後の聖戦」が公開。幼女誘拐殺人事件が衝撃だった。「粗大ゴミ」に代わって「濡れ落ち葉」という言葉が流行。

1988年 昭和63年
27歳

 1年以上、渡辺範彦氏についたが、年末にレッスンの内容に疑問を感じて独立することになる。しかし、すでにギターだけでなく、シンセサイザーにも興味を持ち始めていたため、東京国際ギターコンクールは二次予選で落ちた。それをきっかけに、コンピュータミュージックへ傾く。初めて購入したのはKORGのM1だった。

 世の中はイラン・イラク戦争、リクルート疑惑などがあった。北海道と本州を結ぶ青函トンネルが使用開始。ミックジャガーがソロで来日したのもこの年。「おたく族」(自分の世界に閉じこもり、相手のことをお宅と呼ぶ若者のこと)、「オバタリアン」、「セクハラ」などが流行語。

1987年 昭和62年
26歳

  一人でギターの修行をすることに限界を感じ、渡辺範彦氏に師事することに決めた年。神保町のスーパーフジヤでアルバイトをしながら通う。河野の50万円のギターを無理して購入。現代ギターの編集長、菅原潤氏と巡り会う。

 日本は国鉄が分割民営化してJRがスタート。「イー電」は「おにぎり」(Macのシステム漢字Talk7のニックネーム)と同様に後に死語となる。携帯電話が登場したのもこの年。映画「マルサの女」公開。「レトロ」、「酸性雨」、「電子手帳」、「ボディコン」などが流行。日本で初めて女性のエイズ患者が発見され、その女性が多数の男性と売春行為をしたということでパニックが起きる。

1986年 昭和61年
25歳

 とにかく1日中ギターを練習する日々。将来がどうなるかまるで見当もつかない。日本経済は「男女雇用機会均等法」が執行され、バブルのピークだが、自分はフリーターの身分。まるで関係ない。
 この年は三原山が噴火し、スペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故、チェルノブイリ原発爆発事故など痛ましいニュースが多かった。使い捨てカメラ「写ルンです」が流行し、ミニバイクにもヘルメット着用を義務づけた年である。どうりで79年のテレビドラマ「探偵物語」では松田優作がノーヘルでVespaに乗っているわけだ。

1985年 昭和60年
24歳

 ピノチオ岡村株式会社へ入社。まったく音楽のない社会生活にノイローゼ気味。街を歩いていてギターの幻覚を見る。この時、まっとうなサラリーマンは自分には出来ないと確信して退社を決意する。年内に辞めようかと思ったが、上司に説得されて翌年の1月で辞めることに。この年、日航ジャンボ機墜落事故が起きる。
 ワープロソフトの「一太郎」が発売される。映画は「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」が公開。ちなみに阪神優勝で大騒ぎとなった年だ。

1984年 昭和59年
23歳

 グリコ・森永事件が起きた年。日本では新札が発行された。さよなら聖徳太子である。ロス疑惑で騒いだのもこの年。まさか24年後にアメリカで逮捕されるとはね。
 私は音楽を目指すか就職かで迷うが、大学のゼミの先生に「一度は就職してごらん。ダメだったら辞めて好きなことをすればいい」と言われて就職することを決意。
 映画「インディージョーンズ魔宮の伝説」、「アマデウス」公開。携帯型CDプレイヤー「ディスクマン」が発売された年でもある。マドンナの「ライク・ア・バージン」がヒット。

1983年 昭和58年
22歳

 ギターアンサンブル愛好会で部長となる。愛好会で部長って変だが、そう言われていた。この年は大韓航空機撃墜事件が起きた年。ファミコンが発売され、東京ディズニーランドが開演した。映画「フラッシュダンス」公開。
 テレビドラマ「ふぞろいの林檎たち」は自分と1年違いの主人公を描いたドラマで人生勉強になる。「貸しレコード」、「カフェバー」、「愛人バンク」などが流行。ちなみにこの年に流行った「ニャンニャン」という言葉は元は女の子の感嘆詞として使われていたらしい。

1982年 昭和57年
21歳

 ギターアンサンブル愛好会では2年生ながらコンサートマスターになる。日航機が羽田沖に墜落、ホテル・ニュージャパンの火災などが起きた年。500円硬貨が発行される。CDプレイヤーが世に出る。映画「E.T.」公開され、マイケル・ジャクソンの「スリラー」が大ヒット。「逆噴射」、「ネクラ」などが流行語。超電導磁気浮上式リニアモーターカーが宮崎県で実験に成功したのはこの年だったが・・・。

1981年 昭和56年
20歳

 1浪を経て私立武蔵大学経済学部経営学科に入学。この頃はハードロック・ブームが終わっていて、軽音楽部に入ってもバンドを組めない。そこでギターアンサンブル愛好会に入会し、一気に人生、花開く。レーザーディスクが世に出たのもこの年。映画「レイダーズ失われたアーク」公開。「なめネコ」、「クリスタル族」(カタログ文化にかぶれた若者のこと)、「粗大ゴミ」(定年後のゴロゴロした亭主のこと)、「ノーパン喫茶」などが流行った。

1979年 昭和54年
19歳

 我慢の浪人時代。1億円拾得事件 、新宿バス放火事件が起きた年。一時的に牛丼の吉野屋が倒産。私はストレートで大学に行くことができずに浪人生活を送る。とにかく大学へ入学して4年間遊びたい。バンドを組むんだと、それだけを生き甲斐にがんばっていた。代々木ゼミナールと図書館を往復する毎日。
 ルービックキューブが流行し、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」が流行した。12月にはジョン・レノンがファンの手により射殺されてしまう。レッド・ツェッペリンが解散したのもこの年。

1979年 昭和54年
18歳

 三菱銀行猟銃人質事件が起きた年。カーター大統領来日。ソニーのウォークマン「TPS-L2」が3万3000円で発売される。爆発的な人気になるが、1年で必ず壊れるとも言われた。日本電気からはパソコン「PC-8001」が発売される。
 テレビゲームの「スペース・インベーダー」が大流行。松田優作のテレビドラマ「探偵物語」が放映されたのもこの年。サザン・オールスターズ「いとりのエリー」、クリスタルキング「大都会」が大ヒット。「省エネルック」、「夕暮れ族」なんてのも流行った。

1978年 昭和53年
17歳

 高校2年生17歳といえば青春真っ只中なはず。でも相変わらず暗くてギターしか無いという生活だった。この年、成田空港が開港。東芝からワードプロセッサー「トスワードJW-10」が630万円で発売される。誰が買ったんだろう? 映画「サタデーナイト・フィーバー」、サザン・オールスターズの「勝手にシンドバッド」がヒットし、江川のドラフト問題が起きた年だった。アメリカではヴァン・ヘイレンが「炎の導火線」をリリース。「ディスコ」、「家庭内暴力」、「竹の子族」、「窓際族」などが流行。

1977年 昭和52年
16歳

 東京都立武蔵丘高等学校入学。もう少しレベルの高い高校にも行けたのだが、近い方を選んだ。しかしそれがいけなかったのか。先生嫌い、クラスメート嫌いで登校拒否になりかける。結局夏のアルバイト(新聞配達)で買ったエレキギターだけが友達という3年間のスタート。
 日航機ハイジャック事件が起きた年だが、それよりも自分としては3月末にKISS初来日という大事件があった。初めて体験した武道館のロックコンサート。2階席の後ろから数えた方が早い席で見たが、それでも感動。この年にアップルコンピュータ社が設立される。エルビス・プレスリー死去。映画は「未知との遭遇」が話題になる。流行語は「話がピーマン」、「普通の女の子に戻りたい」、「ワンパターン」など。

1976年 昭和51年
15歳

 ロッキード事件田中元首相が逮捕された年。当然流行語は「記憶にございません」。五つ子誕生。ピンクレディがデビュー。この年に家庭用のビデオデッキが発売されるから、ピンクレディをリアルタイムで録画できた人ってほんの一握りだった。
 イーグルス「ホテル・カリフォルニア」、KISS「地獄の軍団」、エアロスミス「ロックス」、ジェフベック「ワイアード」がリリース。ベイシティ・ローラーズが来日し、映画「犬神家の一族」が公開される。ちなみに好きなテレビドラマ「高校教師」で使用された森田童子の「ぼくたちの失敗」が収録されたアルバムがリリースされたのはこの年。

1975年 昭和50年
14歳

 ベトナム戦争は終結し、三億円事件は時効を迎えた。テレビドラマ「Gメン75」が放映開始。映画「ジョーズ」が公開される。レインボーが「銀嶺の覇者」、ジェフ・ベックが「ブロー・バイ・ブロー」、クイーンが「オペラ座の夜」、キース・ジャレットが「ケルン・コンサート」をそれぞれリリース。ハードロック黄金時代と言われる。ビートルズが正式に解散とされたのはこの年(ロンドン高裁が認めた)。日本では「およげたいやきくん」が大ヒット。荒井由美の「あの日に帰りたい」がリリースされる。「暴走族」、「ツッパリ」、「赤ヘル」(広島が優勝)などが流行った。

1974年 昭和49年
13歳

 練馬区立開進第四中学校入学。私は小学校の友人(問題児ばかりだった)とはあまり親しくなかったので、わざと離れた中学へ進む。すると、私が所属した代は、近年稀に見る優等生の集まりと言われた。変な気分である。
 世の中はユリゲラーのスプーン曲げが流行する。モナリザ展が開催され、モナリザが一躍有名になる。読売ジャイアンツから長嶋が引退。映画「タワーリング・インフェルノ」に連れて行ってもらったのを憶えている。テレビで印象に残っているのはドリフターズから荒井注が脱退し、志村けんが加入したこと。「幸福行き切符」、「ストリーキング」なんてのも流行った。ディープ・パープルが「紫の炎」を、キッスが「地獄からの使者」をリリース。

1973年 昭和48年
12歳

 浅間山が爆発し、石油危機によるトイレットペーパー買い占めが起きた年。日航機ハイジャック事件も起きた。また魚介類がPCBで汚染されていると言われ一時、寿司屋、魚屋から客足が遠のいた。これと同じ様な騒ぎは20年近く後に狂牛病で経験する。
 私が所属したこの年の6年生は、問題児が多く、しょっちゅうPTAの会議が行われていた。ノストラダムスの大予言(1999年の7月に人類は滅亡する)が流行した。ベトナム戦争は停戦、映画「エクソシスト」「燃えよドラゴン」公開。読売ジャイアンツV9の黄金時代。ローリング・ストーンズの初来日が麻薬問題で中止になる。

1972年 昭和47年
11歳

 札幌オリンピックが行われ、連合赤軍の浅間山荘事件があった年。グアムで横井さんが救出された。パンダ公開、中ピ連(ピル解禁を求める連合)が登場。日本ではセブン・イレブンがオープンし、月刊「ぴあ」が創刊。
 ディープパープルが来日し、日本公演の模様を収めたライブ・イン・ジャパンがリリースされる。プログレの全盛期と言われている年。流行語は「お客様は神様です」。

1971年 昭和46年
10歳

ドル・ショック(ニクソン大統領によるドル防衛策でドルが急落)が起きた年、日本の電卓製造会社ビジコン社が、米国のインテル社と共同で世界初のマイクロプロセッサーを開発した。

 マクドナルドの1号店が銀座三越に誕生。仮面ライダーやルパン三世(初代)が放映された年。映画「時計じかけのオレンジ」が公開されたのもこの年。「アンノン族」(雑誌のananやnon-noを小脇に抱えて旅行する女の子のこと)、「脱サラ」、「ピース」などの言葉が流行した。天地真理が「水色の恋」、南佐織が「17才」を歌ったのもこの年。レコード大賞は「また逢う日まで」。

 海外ではエマーソン・レイク&パーマーの「展覧会の絵」、レッド・ツェッペリンの「IV」(天国への階段収録)がリリースされる。

1970年 昭和45年
9歳

 大阪にて日本万国博覧会が開催された。でも我が家は行かなかった。日航「よど号」事件が起きた。缶コーヒーが登場したのはこの年。あしたのジョーの力石徹の葬式が行われる。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」、ビートルズの「レット・イット・ビー」がヒットしたこの年に、ジミ・ヘンドリクス死去。ケンタッキー・フライド・チキンの1号店が名古屋に出来る。公害問題が本格化。

1969年 昭和44年
8 歳

 米国アポロ11号が月面着陸したとされている年(最近はなんだか疑わしい)。日本では東大安田講堂占拠事件が起きた年。米国ではウッドストックが開催され、映画「イージーライダー」のようにヒッピーが流行した。
 レッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」がリリース。しかし特筆すべきはキング・クリムゾンのデビュー作「キング・クリムゾンの宮殿」が全英でトップになったことか。

1968年 昭和43年
7 歳

 練馬区立仲町小学校に入学。忘れもしない三億円事件が起き、東大紛争が起きた年。日本ではカラーテレビが発売された。アタックNO.1、サインはV、タイガーマスク、ゲゲゲの鬼太郎、サイボーグ009、サスケ、怪物くん、巨人の星、妖怪人間ベムなど、子供向け番組の黄金時代。カルメン・マキの「時には母のない子のように」がヒット。
 ビートルズの「ヘイ・ジュード」やサイモン&ガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、レッド・ツェッペリンの「レッド・ツェッペリン I」がリリースされる。映画「2001年宇宙の旅」が公開されたのもこの年。ボンカレーが人気に。「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい。丸大ハム」なんていうCMが放送されていた。

1967年 昭和42年
6 歳

 ビートルズの影響でグループサウンズが流行った年。クルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」が大ヒット。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツクラブ・バンド」がリリースされた年。ミニスカートが大流行した。社会的には羽田学生デモが行われた。「アングラ」、「核家族」、「フーテン族」、「ボイン」(大橋巨泉の言葉)などが流行語。

1966年 昭和41年
5歳

 みどり幼稚園に入園したこの年、ビートルズが来日し、ウルトラQが放映された。おそ松くん、マグマ大使、遊星仮面、ジャングル大帝、ハリスの旋風、など、数々の子供向け番組があった。日本は「いざなぎ景気」と呼ばれる繁栄を70年まで維持する。カー、クーラー、カラーテレビの3Cという夢の商品が生まれた。ちなみに好景気の真っ最中は、安月給の公務員がよくバカにされていたそうだ。
 ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」がヒット。

1965年 昭和40年
4歳

 ベトナム戦争が始まった年(64年とする説もある)。カセットテープレコーダーが登場。ローリング・ストーンズの「サティスファクション」やビートルズの「イエスタデイ」がヒット。日本はベンチャーズ来日でエレキ・ブーム。オロナミンC発売。
 私はとにかく泣き虫だった。昼寝している間に母が買い物にでかけて、家に居ないことがわかるとメソメソ泣いていたのを憶えている。
 私の親父は地方公務員で、私はその宿舎の六件長屋に住んでいた。一応庭があったのだ。

1964年 昭和39年
3歳

 東京オリンピックが行われた年。新潟では大地震があった。日本で初めての電子式卓上計算機が早川電機(今のシャープ)から発売された。25キロもあって53万5000円したという。
 「明日があるさ」(後にカバーされたあの曲)がリリース、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が流行ったのもこの頃。他にアニマルズの「朝日のあたる家」、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」(のちにヴァン・ヘイレンがカバー)が発表されている。
 サイモン&ガーファンクルがデビューしたのもこの年。流行したのは「林檎をかじると血が出ませんか?」、「ウルトラC」、「根性」。

1963年 昭和38年
2 歳

ケネディ大統領暗殺、力道山が死亡したのもこの年。テレビアニメ鉄腕アトムはこの年に放映された。ピンク映画という言葉が生まれたのもこの年らしい。他にも「ハッスル」とか「小さな親切運動」なんていうのが流行ったという。海外ではビーチボーイズの「サーフィンUSA」、アストラッド・ジルベルトの「イパマネの娘」などがヒット。

1962年 昭和37年
1 歳

 ビートルズがデビューし、マリリン・モンローが死去。この年は第三次世界大戦(核戦争)に至るかも知れないと心配されたキューバ危機があった。「ツイスト」、「無責任時代」、「当たり屋」などの言葉が流行った。海外ではボサノバがブームに。

1961年 昭和36年
5月3日誕生

 「上を向いて歩こう」が流行し、映画「ウエスト・サイド・ストーリー」が公開されたこの年、私はこの世に生を受けた。当時の物価は、資料によるとそばが40円、牛乳は1本15円だった。ちなみに電子レンジは54万円!「巨人、大鵬、卵焼き」 と言われたのもこの頃。東京文化会館開設。アメリカではジョン・F・ケネディ大統領が誕生。ドイツでは夏にベルリンの壁が作られた(この時は単なる有刺鉄線)。